熊谷組と東亜建設工業の違い
年収・残業・稼ぎ方・歴史を、
3行でいうと
- 30歳に
換算した 年収は 熊谷組が 約677万円、 東亜建設工業が 約751万円。 東亜建設工業の ほうが 約74万円高い。 - 売上高は
熊谷組が 4,877億円、 東亜建設工業が 3,587億円で、 熊谷組が 約1.4倍の 規模。 - 売上に
対する 利益の 割合は 熊谷組が 5.5%、 東亜建設工業が 6.9%で、 差は 小さい。
数字で比べる
| 熊谷組 | 東亜建設工業 | |
|---|---|---|
| 働きやすさの | 70点(A+) | 70.2点 |
| 平均年収 | 918万円 | 1,019万円 |
| 30歳換算年収 | 約677万円 | 約751万円 |
| 月の平均残業 | 未公表 | 15時間 |
| 有給取得率 | 未公表 | 未公表 |
| 平均勤続年数 | 18.6年 | 14.4年 |
| 売上高 | 4,877億円 | 3,587億円 |
| 売上に | 5.5% | 6.9% |
| 売上の | 1.15倍 | 1.63倍 |
| 従業員数 | 2,740人 | 1,880人 |
点数・年収・残業・有休・勤続は
- 売上の
4年の 伸びは 熊谷組が 1.15倍、 東亜建設工業が 1.63倍で、 勢いは 東亜建設工業が 上。 - 当サイトの
働きやすさの 点数は 熊谷組が 70点、 東亜建設工業が 70.2点で、 ほぼ同じ。
何で稼いでいるかの違い
熊谷組
熊谷組は、
売上高は
東亜建設工業
東亜建設工業は、
売上高は
歴史の違い
熊谷組
- 1898年熊谷三太郎が
個人経営の 土木建築請負業を 開業します。 - 1938年株式会社に
なります。 - 1945〜1948年建築部門に
進出し、 全国に 支店を 開きます。 - 1963年道路部を
分離独立させ、 熊谷道路 (今のガイアート)を 設立します。
東亜建設工業
- 1908〜1914年浅野総一郎が
鶴見埋立組合を 設立し、 鶴見埋築株式会社に なります。 - 1920〜1927年東京湾埋立株式会社に
なり、 鶴見・川崎地区の 埋立を 完了します。 - 1944年港湾工業と
合併し、 東亜港湾工業に 社名を 変えます。 - 1963〜1973年海外事業部を
つくり、 陸上土木・建築に 本格的に 進出して、 社名を 東亜建設工業に 変えます。
いま何に賭けているか
熊谷組
グループビジョンは
東亜建設工業
社是は
どちらを選ぶかの目安
- 伸びている
事業で 任される 範囲を 広げたいなら、 売上の 伸びが 大きい 東亜建設工業。
よくある質問
- 熊谷組と
東亜建設工業は どちらが 年収が 高い? - 30歳に
換算した 年収は 熊谷組が 約677万円、 東亜建設工業が 約751万円。 東亜建設工業の ほうが 約74万円高い。 - 熊谷組と
東亜建設工業は どちらが 働きやすい? - 当サイトの
働きやすさの 点数は 熊谷組が 70点、 東亜建設工業が 70.2点で、 ほぼ同じ。 点数は 残業・有休・年収・勤続などの 公的データから 計算した もの。